Ps;金木犀
秋になったね。
外に出て、息を何回も深く吸って、やっぱり秋は好き。
どこかの記憶を思い出しそうな、懐かしいような匂いと、足を運ぶたびにくしゃくしゃなる枯葉の音と、やけにキラキラ光る川と同じ速度で進むトンボも。
風が吹くたびに、チラチラ落ちる葉も、その赤 黄色も、全部 本当にすき。
何回もシャッターを切って、犬に見せて、立ち止まってまた深呼吸して。
私が大切にしたいと思う瞬間はいつもこういう時だったなって、忘れかけていたけど
また気がつく事ができて、嬉しかった。
後、犬が冬を越そうと自分の毛をどんどんモコモコにしていくのも
本当に。
全部、愛おしい。
金木犀の匂いは今日はしなかった。
地元に帰ってから金木犀の匂いはしなくなって、それがどんなイメージだったか、どんな形のものか 分からなくなった。
どんな匂いだったっけな、甘かったのは覚えているのに。
都会に住んでいたときは、外を歩くことが多くて
外の匂いを自分の日常に取り入れることが多かったのに
車の中だけだと、分からないよね。
たくさん外を歩ければいいのに、ついついだらけてしまってダメだな。
秋にたくさん咲いている、ふわふわの葉の名前、あれ なんだっけ
私の目の前で一生懸命お尻を振って歩いている、犬の尻尾がそのふわふわにそっくりで
それがとってもとってもおかしくて、可愛くて、1人で笑っちゃった。
こういうの誰かに知らせたくて、でも誰でも良いわけじゃなくて
そうだったんだ、良かったね。とか、じゃあ良い1日だったんだね。とか、
言って欲しいな、なんて思うのは私のわがままなのかな。
1014
秋になりました。
少し寒くなって、星が綺麗に見えるようになったね。
職場からの退勤後、放課後の体育祭の準備の匂いがする。
なんだろうね、わからないかな。
確かに、同じ匂いがして立ち止まってしまう。
もう何年も経っているのに
匂いで思い出せるものは多いね。
例えば、知らない家のカレーの匂い 友達の柔軟剤の匂いとか それと金木犀の匂い
風邪を引いてしまって
匂いが分からなくなるのは少しだけ寂しいな
鼻詰まりが、何も思い出せないように
何も考えさせないようにしてくれているのなら、
私がそう思えたらありがたいのかな。
もう少し寒くなって、匂いが段々とツンとする冷たさになって
マフラーとか手袋を身に纏うようになって。
毎年、同じ事だよね、 でもとっても待ち遠しいの。
残暑へ。
拝啓、残暑へ。
私の住む街は田舎で、この時期になるともう涼しくなるのに
今年はどうも違うみたいですね。
ベタベタになる肌や、夏のジトっとした匂い。
外で騒ぐ子供達の叫び声や、エアコンの動いている音は苦手です。
でもワンピースをたくさん着られるのは好きかも。
緑、黒、水色、茶色、真っ白。
夏になるとなぜかワンピースで出かけたくなる。
しかも裾が広がって、風が吹くたびにいちいちヒラヒラ舞うカーテンのようなワンピース。
私は昔から
小麦色の肌だから、血管が透き通るような色白な女の子を見ると
羨ましかったな。
秋を愛おしくなった 日に焼けた肌。
残暑へ。
今年も何もかもどうでもいいと思えるような季節でいてくれてありがとうね。
冷たい日
もう何も頑張れないような事が突然起きて、生きている限りそれは仕方のない事だって頭では割り切って乗り越えようとするのに
どうしたってそれがお利口なまま出来ない日が3年に1度くらいはあるような気がする。
前の私はどうやって乗り越えてきたのか、その度に忘れてちゃんと苦しんでしまうのだ。
泣けないくらい苦しくて、誰にも話せない、話したくないくらい辛い出来事を
どう消化して思い出や、いつかの記憶として懐かしめるんだろう。
いつだってどん底に落とされたときは、隣には誰もいなかった。
私の気持ちは私だけのものだから、そこに誰がいてくれても、意味がないのだ。
数時間で効き目が切れる痛み止めと少し似ている。
理解はしているのに、それと反対に寂しくて辛くて声が出ないくらい泣きたい気持ちが溢れて沁むような日。
それでも、明日も平気なフリをするために、夜になったらよく眠って
タオルケットにくるまって、今日を終わらせければいけない。
明日になれば仕事が始まって、ご飯も食べなくちゃいけない。
髪を綺麗にとかして、化粧をする。
犬にもご飯をあげて、職場の人とは笑って話さなくちゃ。
大人になればなるほど、感情を表に出しすぎると異常だと思われる。
私はこのままでありたいのに。
こんなわがままをひとしきり書き殴って今日は眠る。
誰でも穏やかではない日が1日くらいはある。
みんなはどうやって、大丈夫になるんだろう。
気休めの、アイスクリームを食べて口の中が冷えたところで、
おやすみなさい。
愛しいと思うもの
お久しぶりです。
このブログを始めたときは20歳かそこらでもう5年も歳をとってしまったみたい。
まだまだ人生これからだよ、の台詞はもう聞き飽きました。そんな暴力のような励まし文句、私は聞きたくはないのです。
20代でも人生を諦めて自殺する時代です。もう私達はSNSという世界で、他人からの有益な、または非利益な情報で上辺だけの歳を重ねているのかもしれない。
私は、SNSを辞めた。他人と繋がれそうなものは全て。
この人誰だっけ を繰り返さないと誰かも分からない知り合いの日常を見るのはなんだか疲れる。
例えば、機会がありその誰かとお茶をしばくことになって、私は彼に、あるいは彼女に、何の話題を振るのか考えて頑張らなければいけない関係はもう高校生までにしたかった。
SNSを辞めてから誰かと行ったパンケーキの写真より、友達と比べて自分が不細工に写っていないかだけを考えるプリクラより
1人で誰にも見せる予定がない、行き場のないような退屈な写真達をどうしようもなく愛おしく思うようになった。
追伸に過ぎないけれど、寂しさや孤独を他人で埋めるのは簡単すぎる。簡単だからこそ効力がとてつもなく弱い。
それから縋るのはクタクタになったタオルケットだと決めている。
4年
4年経った
いろんなことがあった
みんなもいろんなことがあった
友達は結婚したし
初恋の相手は自殺した
仕事して、上司に恵まれて
かと思ったら異動になったり
突然変わる環境に追いつけないくせに
平気なフリをしていたり
それに我慢できなくなって
結局地元に帰ってきたり。
犬を飼って、育ててみた
愛情が何なのかは知らない
好きだと思ったものにだけしか、優しくできないので。
そのくせスクスク育って
ご飯もだべている
不器用なりにお前も大きくなったね
4年ぶりに何を書こうか
前みたいな言葉はでてこないらしい
変わらないことは
本は未だに好きで1人で図書館に行くこと
散歩する時に、風邪の匂いをかぐのは好きとか
タオルケットは肌に触れてなきゃ嫌だとか
休みの日は無性に洗濯したくなったりとか
あの時懐かしいなと思っても、あの頃には戻りたいとは思えないこととか。